私は、自分の週末田舎暮らし・デュアルライフを送っている滋賀県長浜市の主人の実家を「ダーチャ」と呼んでいます。この記事では、なぜ私が週末を過ごすこの家を「ダーチャ」と呼ぶのかについて説明します。
この記事の目次
ダーチャとは? ロシア・ソ連の定義
ダーチャというのはロシア語で、「与えられたもの」という意味で、かつては皇帝から貴族に与えられた土地を意味していましたが、1960年代、旧ソ連政権下ですべての一般市民に対して、一定の区画の土地を与えることになりました。
その結果、ダーチャは都市生活を送る一般庶民が、週末や夏休みを過ごす保養地兼自給自足的な食料生産の場所となり、
ロシア人にとって「心のふるさと」的な存在になったのです。
ダーチャが果たしたソ連時代の重要な役割とは?
実はダーチャは、単に週末の保養という側面だけではなく、ソ連末期の政情不安・経済不安の時代に、食料を生み出すという実利的な一面もありました。ソ連崩壊に伴う経済破綻の時代、ロシアで飢え死にする人がいなかったのはダーチャでの食物生産があったからだとも言われています。
ダーチャについてもっと知りたい人におすすめの本2冊
ロシアの本家本元のダーチャについては、豊田菜穂子さんというロシア・ソ連の専門家が詳しいです。
豊田菜穂子さん著の「ダーチャですごす緑の週末」
に詳しく書かれています。
また、近年特にスピリチュアル・ロハス志向の人の間でバイブル的に読まれているロシア人のウラジーミル・メグレの本が面白いです。
ウラジーミル・メグレの「アナスタシア」では、
ダーチャを持つ人々(ダーチュニク)が、地球にとって重要な役割を果たすというような一節が書かれており、
ロシアから発祥したダーチャという文化が、ロシア一国に留まらず広く普遍的な意味を持つ可能性が示唆されています。
私がロシア版ダーチャは日本ではあまりお手本にならないと思う理由は?
さて。ロシア発のダーチャですが、日本でダーチャライフを送るにあたって、ロシア流をそのまま貫くことは決して好ましくないと思っています。
なぜかというと、共産主義であったロシアと資本主義の日本、広大な国土を持ち国民の大多数が労働者であるロシアと、狭い国土の中で急速に少子高齢化がすすんでいる日本では、事情があまりに違い過ぎるからです。
そこで、次回から、私が考える日本版ダーチャの理想的な在り方について書いてみます。
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